旧JR標津線廃線跡探訪「根室標津駅」(その1)

JR標津線の廃線巡りも終着駅の根室標津駅にたどりついた。正式な駅名は「根室標津駅」のようだが、以下、「標津線」「標津駅」とする。シリーズのタイトルを「廃線跡探訪」としておきながらここまでは「廃駅探訪」だったが、今回(2008年9月)の探訪で初めて「廃線跡」を探訪できた。

ここでJR標津線廃線までの時系列を確認してみる。

1987年4月1日 国鉄分割民営化でJR各社発足
1988年3月13日 青函トンネル営業開始
1989年4月30日 JR標津線全線廃止

つまり、ほんの1年あまりではあったが、ここ標津駅から乗車して列車を乗り継いで鹿児島の枕崎までJRで行くことができたのだ。後で紹介する駅舎のあった地点から、国後島が間近に見られる海岸までほんの数百メートルの地点である。根室海峡の間近の駅から、桜島と開聞岳を車窓に見て枕崎までを1つの線で結ぶことができていたのだ。「青春18きっぷ」を極力駆使すれば、いったいどれくらいの時間と運賃で鹿児島までたどり着けたのだろう。今はもうそれは望めない。旧標津駅の地点からJRの駅にたどり着こうとすれば、バスで釧網線の標茶駅か根室本線の厚床駅・釧路駅に行くか、根北峠を車で越えて釧網線の知床斜里駅に行くしかない。鉄路は果てしなく遠い。今回は廃線後20年を経ても旅愁を誘う標津駅を訪ねてきた。

だいたいの位置は分かっていたが、ほとんど予備知識を持たずに行ったので詳細な場所が分からなかった。近くにいた人に尋ねてみると、指を指して「あそこの左側奥に転車台が残っているよ」と教えてくれた。国道から2~300mほど内陸にあり、ちょっと見たところではわからない。「ちょうど花壇があるところあたりが駅舎で、花壇の前の道路は無かった」とも言った。
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左手には広い芝生が見えた。一見してそこがもとの駅の構内であることがわかった。
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芝生の奥には線路が残されていた。最果ての線路の1つである。
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奥に進むと、赤い転車台が見えた。保存用に修復、塗装はなされているのだろうが、往時を偲ばせる迫力があった。
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転車台の脇には案内図と説明があった。思いの外、広い。終着駅ならではであろう。
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そして、線路はここから始まっていた。
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駅の区域の端っこはどうやらここらのようだ。
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転車台から見て右(東)の方向には雪の深さを測る深度計が屹立していた。しっかりと立っている様は、今なお現役で使われているようにさえ見えるが、周囲には何もない。これも鉄道関係の遺物であろうか。
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